ティアクライス3周年おめでとう!
ってことで、今日も今日とてアスクロで一本。年齢制限無し、爽やか路線です、ええswyk.
(文字数多いけど、ブログで大丈夫かしら)
* in the sky *
『足に羽が生えたように』、というのはまさに今のような状況をいうのだろう。
気を抜けばスキップをしかねない足をしっかり地面に近づけつつ、気を緩めばだらしなく緩みかねない口元を引き締め、俺は騎士団団長の部屋に向かう。
当然のことながら、現騎士団長に会うことに対して浮かれているわけではない。俺から回覧書類を受け取り、ラロヘンガに巣食う奇妙な魔物でも見るような眼差しを送ってくる、黒髪細目の男などのために浮かれるわけがないだろう。
いつもなら含みのある目線を送っても口は開かないのに、きょうのきょうに限って俺のことを「不気味だ」などと言ってきやがったが……今後お見えするであろう幸福の前に、そのような嫌味など霞むというものだ。
メルヴィスの目に余るくらいに、おそらく俺は浮かれていたのだろう。それは、仕方のないことではないか。
なんたって―――…ああ、思い出すだけでもうっとりとしてしまう。
今朝、きょうが提出期限の書類を携えクロデキルド様の執務室を訪ねた。
書類を受け取ったクロデキルド様は「いい天気だな」と窓ガラス越しに空を見上げたあとこちらに目線を送り、きょうが暇かと尋ねられた。
ひとつちょっとした用事があると正直に答えたところ、そのあと付き合ってほしいと仰る。
どこに、なんの? と場所と目的を聞こうとした俺の唇から、言葉が発せられることはなかった。そりゃそうだ。
「いいところに連れて行ってやる」と、長く白い人差し指を口角を上げた美しい唇に当てて、付け加えられたのだ。まるで、二人の秘密だぞ、と付け加えるように―――このような仕草をされれば、場所や目的などどうでもいいだろう? それがたとえ百万世界のはじっこでも同行しない理由はないし、いくら心を落ち着けようともふわふわ浮かれるというものだ。
メルヴィスへ書類を届けるという野暮用をそつなくこなし、奴の冷めた視線を背中で跳ね返して、俺はクロデキルド様の元へ向かう。すれ違う侍女が俺に視線を送る。「アスアド様、いまからクロデキルド様とデートですか」と目が尋ねている―――というのは、さすがに自意識過剰だろう。
でも、そうやって期待してしまうのも無理はないだろう?
出会ったその日から抱き続けてきた、そして日の経過と共に強まった俺の想いを、あの方は両手で受け止めてくださったのだ。
届いたときの、「嬉しい」と言われたお言葉が忘れられない。
あれは夢の出来事ではなかったのかと思うほどだが、少しずつ日が経過するにつれ、彼女の笑顔が一歩ずつ身近になるにつれ、ああ現実なんだなと幸せを噛みしめるに至っているのである。
そして、今日。クロデキルド様は、世界一幸せなこの男をどこに連れて行こうとお考えなのだろう。緩む口元をなんとか締め、俺は彼女の執務室のドアをノックした。
「もう用事はいいのか?」
「はい」
窓からの太陽の光を含み、クロデキルド様の金髪が一段と眩しく見えた。その眩しさに目を細めていると、彼女は手にしていた書類を机におき、髪をかきあげる。そんな仕草ひとつにドキリとしてしまう。
俺が見とれ硬直している間にも、彼女は席を立ち俺の側まで来ていた。当然のことながら、お側で見てもお美しい。
「次の用事は?」
「あっ……えー夕刻より訓練の報告を受けねばなりませんが、あーそれはハフィンに一任しても」
「仕事優先だ」
ぴしゃりとクロデキルド様が遮る。
「まあ、夕刻までならちょうどいいな。了解した、では行こうか?」
「はい!」
相変わらず目的地は聞かされていない。だが、それはクロデキルド様にお任せします。俺は、どこまででもお供させて頂きます。
俺は扉に手をかけ、彼女へ道を開いた。
東塔の階段を二人でのぼっていく。
ここは日光があまり差し込まず薄暗い場所だが、それでも階段を登るクロデキルド様のお姿が輝いて見え、その後姿に魅入られながら俺はあとに続く。彼女の足が最上階の床を蹴り、なお階段を登り進めて行くことで、目的地が屋上であることがわかった。
屋上への扉の前に立つ衛兵が女王の来訪に深々と頭を下げる。クロデキルド様が手をあげると、衛兵は身を避け屋上への扉を開けた。
クロデキルド様が扉の向こうへ足を踏み出したところで、衛兵が俺に気づき訝しげな視線を送ってくる。
「いいんだ」
クロデキルド様が彼に言う。何が「いい」なのだうか―――俺の疑問が解消される間もなく、クロデキルド様が俺の名を呼び、手招きをする。
彼女に続き屋上へ足を踏み出す。薄暗い世界が一転し、抜けるような青空の天井が俺を迎えてくれた。
晴天だ―――。吸い込まれそうな青色に目を奪われる俺の隣で、クロデキルド様は大きく伸びをした。
「んー」
ぴんと伸びた背中が気持ちいい。そのお姿に青空以上に目を奪われいると、クロデキルド様は俺の視線に気づき、ふっと笑う。
「気持ちいいだろう?」
「そうですね。天気も良くて風もだいぶ暖かくなりました。しばらく屋外に閉じこもりきりでしたから、とても気持ちがいいです」
「同意だな。やはりたまには外の新鮮な空気を吸わないと、いい仕事もできないだろう」
ふわりと彼女の金髪が舞う。
「そうですね。……しかし、ここにははじめて来ました。想像していた以上によい眺めですね」
山々の緑に空の青。屋上の端まで行けば、おそらく眼下に城下町も広がるだろう。山、空、人々といったこの国の生命をたくさん目に収められる場所。アストラシアの姿を紹介するにこれほどの絶景もないだろう。
「はじめてなのは当然だ。なにせ、ここへの侵入は許していないからな」
と言うよりも、城の者にとっては暗黙の了解というべきか―――とクロデキルド様は言葉を続ける。
ここは、クロデキルド様とフレデグンド様、それに先代の王妃様くらいしか足を踏み入れない場所だという。
「もっとも協会に侵略されたときは、土足で踏みにじられただろうが……いや、フレデグンドが阻止してくれていたやもしれぬが」
独り言のようにつぶやくクロデキルド様のお顔に一瞬影が落ちる。しかし、俺がその影を取り除こうとする前に彼女は自ら振り払い、俺に笑いかける。
「つまり、王族特権のエリアというわけだな。このような絶景を独占するのは卑怯だと思うか?」
「まさか、思いませんよ。王族の方にこそ、何者にも侵されない安らぐ場所が必要です」
「ありがとう」
クロデキルド様が目を細める。こうした慈悲深いお顔も好きだ―――とうっとり蕩けそうになるが、蕩けてしまう前に疑問を解消する方に専念しよう。
ところで、そのような場所になぜ俺を?
「さぁ?」
肩をあげ、クロデキルド様はとぼけたような表情を見せる。
どことなく愉しげなお顔。こういったとき答えを提示されないことは知っているので、自分で回答を考える。
……が、王族でない俺を王族専用エリアに通す理由を考えても、導かれる答えはひとつしかなくて。
つまり、俺を王族の一員に加えてやろうと……そういうことか!? つまるところそれは……と浮かれた頭はどんどんとポジティブな思考に侵食され、脳内にウェディングベルが鳴り響……いや待て待て!! 先走りすぎだ!!! 落ち着け、常識で考えろ俺!!
……あっ、そうか。ここのメンテナンス係として呼ばれたとか? 現に、清掃係が定期的にここを掃除しているだろうし。どうやら俺はホウキの似合う男として定評があるようだし……。
ああ。そういうこと……か、な?
「ふふっ」
一喜一憂する俺を観察していたのだろう。愉快そうにクロデキルド様が笑う。こんなふうに微笑んでくださるのであればいくらでも喜びに浮くし憂いに沈むさ―――などと思ってしまう俺に、彼女はやはり答えは提示せず、こちらへと歩き出した。
正解はうやむやなまま後ろに付き従う。
しばらく歩くと、想像通りに城下町が一望できる場所にたどり着く。
極上の眺めを楽しむ目的か、あるいは監視のための目的か―――要塞の体をなすこの城のことだからおそらく後者だが―――、腰掛けるのにちょうどいい高さの石の出っ張りがあった。石の上には木材が打ち付けられていることから、腰掛ける目的で設置されているのだろう。
クロデキルド様はそこに腰掛け、左から右へと景色を瞳に納められる。
「ここからの眺めは良くてな。街……特に市場のほうがよく見える。それから山のほうに進めると田畑が見える。作物の成長具合も見えるし東の空の具合も見えるから……明日の天候の予想も今年の収穫の予測も現在の市場の賑わいもひとまとめに情報として得られるんだ。遠くに見える山の深緑と……冬の場合は白く染まった雄々しい山脈だが、これらを眺めることでリフレッシュにもなる」
一定量の風が吹く中で俺に届くよう配慮なさっているのだろう。少し大きめに発せられる凛としたお声が耳に心地いい。
クロデキルド様の案内のとおりに俺は視線を移動させる。
「なるほど」
紙面の報告書では得られない情報をここで得ると。さらに休息も兼ねられる便利スポットというわけか。
しかし冬は厳しそうだ。それとも、アストラシアの気候に慣れたクロデキルド様であれば、真冬の風などものとしないのだろうか。……などと思考に耽っていると、前に座るクロデキルド様がこちらを振り返った。
「こちらへ来い」
「承知しました」
今までのは前置きで、ここからは内密の話なのだろう。彼女の斜め後ろに立ち、腰をかがめ顔を近づける。
この体勢であれば、たとえ聞き耳を立てている曲者がいたとしても、情報が漏れることはない。
「……何をしている?」
「え?」
「……」
頭ひとつの距離の向こうで、クロデキルド様が眉根を寄せる。
呆れたような表情でありながらも、それは決して侮蔑を含んだものではなく、どちらかといえば願いが叶わなくてどこか少しむくれているようにも見えて……その、ものすごくお可愛いのですが。
「あ、の。クロデキルド様……?」
緊張と愛おしさで息苦しいものを覚えながら、無言のクロデキルド様に真意を問う。
ふぅぅ……とクロデキルド様は長い溜息を吐いたあと、彼女の隣を二度叩き、
「隣に座れ、という意味だぞ」
答えを教えてくださる。
なるほど、内密の話というわけでは……え?
えええっ!? クロデキルド様の、お隣に、俺が、ですか……!!??
「は……はっ!! 失礼しました!!」
そんな、まるで俺たちが恋人同士のようではないか、いや一応そのようなのだが、でもいいのかと舞い上がりつつも、ぎこちなくベンチをまたぎ、腰を下ろす。
「まったく……」
クロデキルド様は二度目の溜息。……あっ、近すぎたか!? 浮かれるばかりに調子に乗りすぎたか!?
慌てて身を右へとずらし距離を作る。
「なぜ逃げる?」
「にっ逃げてなど……!!」
「………」
じっとりとした、クロデキルド様の圧力。
「……すみません。では、失礼します」
先程とは逆回し再生の動きで、元の位置に戻る。
肩が触れるか触れないかの距離。まるで、僅かな空気の壁越しに彼女の体温が伝わってくるようで……。
嬉しい。幸せすぎる……とこのポジションを獲得できた喜びに浸る。―――いや、待て待て。クロデキルド様は喜びを与えるために俺をここへ連れてきたわけではないだろう。未だに目的は聞けていなかったが、それだけはきっと間違いない。
風がなぶったせいで顔にかかる髪の毛を払うついでに、クロデキルド様を盗み見る。
クロデキルド様はじっとこちらを見ていらっしゃって―――!! 心臓が大きく跳ね上がった。
「なるほどな」
動揺する俺に反し、落ち着いた様子のクロデキルド様は何かに納得されたように頷かれた。
「なるほど?」
『クロデキルド様の隣に座ると魔道兵団総帥はフリーズする』という法則を実証したことによる納得なのか? 実験するまでもなくお分かりいただいていたことだと思うのだが……。
「いや」
ふわふわと遊びまわる金髪を撫でつけながらクロデキルド様は答える。
「侍女たちの言葉に納得しただけだ。なるほど、そなたは確かに美青年だな」
「……へ」
「うん。整った顔立ちだ。間近で見たら尚更分かる」
なにを仰っていらっしゃるのですか……!? と、整った顔立ちだと……!!??
その言葉自体、言われるのは初めてではない。かつての上司に「お前は顔だけだ」と揶揄されていたのをはじめとして―――自覚はそれほどなくも、何度か耳にしたことのある言葉ではある。が、それに慣れるかはまた別の話であり、ましてはクロデキルド様に言われるなど、慣れるどころか……!!
「あ、ありがとうございます……」
何も考えられない。ああ、その『整った顔立ち』とやらがじわじわと朱に染まっていくのを感じるぞ。
「思ったことをありのままに言っただけだ。礼を言われることではない」
淡々とクロデキルド様は仰るが、想い人に褒められのだ。それがたとえ単純に容姿のことであったとしても、嬉しくない訳がない。
「結構長い付き合いだが、じっくりと顔を見たことがなかったと思ってな」
確かに、そうかもしれない。形だけの同盟だったり、仲間となったあとでも平等な仲間関係のひとりでしかなかった。同じ国の者になってからも、顔を間近で突き合わせる機会など今までなかった。
俺もクロデキルド様を見る。
想像以上にまつげが長くて、想像以上に前髪を伸ばしておられ、想像以上に瞳の緑色は濃くて、想像以上に唇は美味しそうで……ってなにを考えている!! 思考が素直すぎる己に恥じながらも、たしかにこうしてクロデキルド様のお顔を拝見するのははじめてだと実感する。
「そうして見つめられると照れるな」
ふいと顔を外し、クロデキルド様の瞳は山脈へと移動する。失礼なことをしてしまったかと反省しそうになるものの、白い頬がわずかに染まっているのに気づき、謝罪の言葉が頭から吹っ飛んでしまった。
「顔もそうだが、私はまだ知らないことが多い」
視線こそ一番高い山の山頂へと向けられているものの、お言葉は俺に対して放たれている。
「いろいろ知りたいと思っている。そなたのことを」
「俺のことを、ですか?」
「ああ」
瞳を閉じて小さく息を吐いたあと、クロデキルド様は再度こちらに顔を向ける。
「元・ジャナム魔道帝国第2魔道兵団魔道兵長。肩書きに恥じることなく魔道に長け、剣も基礎から一通り嗜んでいる。正義感が強く、不正や非人道的なこと、曲がったことが嫌いで、まっすぐすぎるあまりにまわりが見えなくなることもしばしば。どうやら私に惚れているらしい。ああ、それと帝国での経験もあることから、多少施政もかじっている。―――私の認識はこんなところなのだ」
さらりととても恥ずかしいことをおっしゃった気がするが……ええ、間違ってないです。全部正しいです。クロデキルド様は俺をよく理解していらっしゃいます。
「それで十分かと……」
「そうかな? 私は物足りないと考えている。おかしいだろう? こんなにも惚れ込んでいるのに、私はそなたのことをこれだけしか知らないんだ。もっとよく知りたいと思っている」
ああ、またさりげなく嬉しくなるようなお言葉を! それだけでなく、俺のことをもっと知りたいだなんて!!
喜びの連続攻撃に頭がふわふわする。後頭部から羽が生えてそのまま青空に飛んで行きそうになっている俺に、アスアドのことを教えてくれとクロデキルド様はおっしゃる。
「それはいくらでも! ただ、自分のことを教えるというのは難しいですね」
「それもそうか。質問を投げかけてもいいのだが、私がそれをすると尋問のようになってしまうだろうし……」
クロデキルド様にならいくらでも尋問されたいです! なんて本音が出掛かるがそこはさすがに押し止める。想いが通じたそばから嫌われたくはない。彼女の刃に散らされるのであればまだしも、彼女に嫌われることが今の俺にとって一番恐ろしいことだ。
「でしたら、互いのことを話すというのはいかがでしょうか? 俺も、あなたのことをもっと知りたいです」
思えば俺も、クロデキルド様のことをあまり知らない。
好きな食べ物や苦手な食べ物、季節、絵画、音楽の好み……そうだ、ずっと知りたくてでも聞けなかった彼女の誕生日をお聞きしたい。一年でもっとも祝福されるべき一日に、彼女にすべてを捧げたい。それに、この際だから知りたいことを全部お聞きしておこうか。
「了解した。では交代で一問一答でいこうか?」
クロデキルド様の提案に頷きで同意する。
「ああ、アスアドは黙秘権なしだから」
「え……ッ!!」
「ふふっ、冗談だ。話せることだけで構わない」
予想通りの反応だったのだろう。満足そうにクロデキルド様は笑う。こうやってくだけた様で冗談をおっしゃることも今知った。しかも、どうやら俺をからかうことに味を占めたようで―――まいったな。
今までの二人になかったコミュニケーション。だが、クロデキルド様の言葉に踊らされるのも心地いいじゃないいか。
「かしこまりました。では―――」
すべて同率一位に並ぶ『お尋ねしたいこと』に頭で優先順位をつけながら、俺は第一問を口にし始めた。
たまに吹き付ける強風を除いて、邪魔が入ることなく俺たちの話は弾んだ。
思えば、結構な時間ふたりで話をしていたようだ。
頬に当たる風がだんだん冷たく鋭くなってゆき、それはタイムリミットが近いことを意味していた。
「……風が強くなってきたな」
前髪をしきりに掻き上げてくる風に、同じ感想を抱いたらしい。クロデキルド様は空を見上げ目を細めた。
その瞳が、楽しい時間はおしまいだと語っている。さびしそうに―――見えるのは、俺の願望だろうか。
願望に同意の視線を込め、彼女の横顔を見つめる。
「…………」
冷気に身を委ねるようにクロデキルド様は瞳を閉じる。一組の風が通り過ぎるまで待ったあと、クロデキルド様は口を開いた。
「この風は思い出させる」
「思い出させる、とは?」
つぶやきに近い声だったから拾ってもよかったのだろうかと、尋ねた刹那後悔する。しかし、クロデキルド様は気にしていない様子でこちらを見る。
「そろそろ約束の時間だが……延長しても構わないか?」
「もちろんです!」
ありがとうとクロデキルド様は仰ったあと、クロデキルド様のむかしのお話をはじめられた。今まで話されていた彼女のことよりも、一段と話し方が静かで穏やかで―――それを、とても大事に扱っているのだなと感じる。
この風は、おわかれの時間を知らせる風なのだという。
彼女が5つにも満たなかった幼い頃の話。
そのころから、彼女の父―――先代国王は熱心に、また厳しく、国王自ら彼女に剣の技を仕込んでいたという。
来る日も来る日も剣を打ち付けられ、握力がなくなるほど素振りをさせられ、褒められることなど一度もなく。それは、逃げ出したくなるつらい日々の繰り返しだったという。
だから、彼女は逃げ出した。逃げる先は、いつもここだった。
ここに―――ちょうど今ふたりで座っている場所には、彼女の母と妹のフレデグンドがいた。幼いフレデグンドはまだ剣の修行の対象外であったため、いつも母とこの場所をふたりじめしていたという。
そこに混ぜてもらうことで、修行から逃げていた。ここは安全地帯なのだ。
「父上はここには絶対に来ないって知っていたからな。何故だと思う?」
「さあ……」
父上は高所恐怖症だったんだ、とクロデキルド様笑う。
母は彼女の味方だった。掌のまめがつぶれ赤く滲んだ小さな手を両手で抱きしめてくれて、クロデキルドはよくがんばっているわね、と褒めてくれて。
フレデグンドも彼女の味方だった。おねえさまはすごいねと言ってくれて、もっともっと小さな手が「痛いの痛いの飛んでけ」と魔法をかけてくれて。
三人だけの暖かい場所。『さんにんじめ』できる世界。
だけど、母はやさしくもきびしいひとだった。彼女をこの国の世継ぎとしてあるべき姿へ向かわせるため、甘えさせるだけで終わらせはしなかった。
だから、ここを『さんにんじめ』するときの約束があった。
ここには時計がない。時間の経過を教えてくれるのは太陽や空の色、風しかなくて―――母は風を選んだ。
風が冷たくなる時間まではクロデキルドもここにいよう、と言ってくれたのだ。
「夕方なんて来なくて、風が冷たくならなければいいのにって思っていたな。聞けばフレデグンドも同じ思いだったらしい」
きっと彼女たちの母も同じ気持ちだっただろう。今は俺の頬を冷やすこの風は、かわいい娘をさらってしまう風なのだから。
俺は頬をこすり、『おわかれを知らせる風』が奪う熱を取り戻そうとする。もちろん、それで風の冷たさがなくなるわけではないが。
「いまもな、あの時と同じ気持ちになってしまった」
クロデキルド様はこちらを振り返り、微笑む。
「この場所は好きだが、この風が吹くと寂しい」
「それは、どちらの意味で」
口にした矢先に、それが自明なことだと気づく。
思い出の回顧ゆえの寂しさなのか、自分との邂逅が終わることの寂しさなのか―――どちらかなど、決まっているだろう。
彼女が大事にしている母と妹との思い出に比べ、自分との時間などいったい何十分の一のウェイトにすぎないというのか。
自惚れているな、と自己嫌悪に陥る。
「……すみません。今の質問は取り消しで」
うなだれる俺を見て、クロデキルド様は俺が提示した比較対象を理解したようだ。
その上で、まっすぐに答えをくださる。
「両方だよ。懐かしくて寂しいし、アスアドともっと話をしたいのにという名残惜しさもある」
俺は顔を上げ、クロデキルド様を見る。
クロデキルド様はまっすぐに答えてくださる。穏やかで優しい―――きっと、かつて彼女の母が浮かべていたのと同じくらいの笑顔。
俺の姿を映す緑色の瞳は、それが本心だと教えてくださる。綺麗な綺麗な、緑色の宝石。
俺はかつてここにいた少女の姿は知らない。だけど、彼女の瞳はおそらくその時から変わっていなくて。
うつくしくて、かわいくて。
いとおしくて。
「―――……」
心が揺さぶられる。
頭の中が、全身が。今まで一度も抱いたことのなかった思いに侵食され。
身体が―――ひとりでに動く。
風が止んだとき。
俺は彼女に唇を重ねていた。
あまりにもクロデキルド様がいとおしくて。
それは、無意識の行動だった。
自分の衝動的な行動に驚く。だが、それは情動に対する静止になりえない。
唇を離したとき、驚愕に彩られた緑色が俺を射ぬいていることに気づいても、想いを止められなかった。
「好きです」
ああ、何を今更言っているのだろう。
だが、どうしても伝えずにいられなかった。
あなたが好きです、クロデキルド様。
「……」
答えはない。
変わらず俺をストレートに射ぬいてくる瞳は、何も語らない。
触れたばかりの唇が、ゆっくりと開かれる。
「……もう、時間だ」
どこかで答えを望んでいた俺の鼓膜を震わすお言葉は、とても事務的なものだった。
俺の恋人である以上に、彼女は女王だった。
だから、俺はこれ以上はしてはいけない。いくらクロデキルド様への想いが溢れ身体を突き破りそうになっても、全部体内に押し込めないといけないのだ。
クロデキルド様は立ち上がり、入口へ向かい歩き出す。
俺も立ち上がる。背中にぶつかる風は先程よりも数段冷たくて、身体が勝手に震えた。
俺を置いて足早に先を行くクロデキルド様の背中を見て、ふと思う。
もしかして、怒っていらっしゃる?
そりゃ無理もない。衝動的に口付けをしてしまったのだから。
―――え? 口づけ? 誰に。
クロデキルド様に?
…………。
「……ッ!!!???」
咄嗟に掌で唇をふさぐ。
ああ、そうだ。俺は確かに、クロデキルド様に、口づけを、してしまったようで……。
「…………」
な、なんてことを!!
潔癖なクロデキルド様のことだ。許してもいない相手からそのようなことをされては、怒ってしまうのも当然だ。平手打ちされなかっただけ俺は運が良かったといえる。
いや、平手打ちされてもよかった! それほどに、俺の行動は一方的過ぎた。
どうやって詫びればいいかと彼女のあとを追う。クロデキルド様は扉の前でこちらを振り返り俺を待っている。唇をきゅっと結び、何かを決意したような厳しい御顔―――。
ああ、なんて言えばいいんだろう。謝ればいいのだろうか。言い訳してはいけないだろうか? 気のせいですなどと誤魔化せもしないだろうし。どうしよう……!!
最適解が見つからないまま、彼女の前に立つ。
相変わらず真っ直ぐなクロデキルド様の視線。内側から震えが来るのは、風が体温を奪うせいではないだろう。
「アスアド」
「はいっ!!」
脊髄反射で答える。普段なら『うるさい』と顔をしかめられるボリュームだったが、今日はそれを指摘されない。
俺の名前を呼んだクロデキルド様は、腕を組み視線を左にずらし思考に耽られる。何らかの結論が出たのだろうか、一度小さく頷いたあと、唇に指をあて、再び思考。今度は心得たようにはっきりと頷く。
「先程、私に何をした?」
「えっ……あっ、その……! 申し訳ありません!! つい、耐えられなくなりまして!!」
直立し90度のお辞儀をする。口をついたのは条件反射の謝罪……しかも情けない言い訳つきで。
耐えられなくなったって子供か、恥ずかしい!!
「突然のことでよく分からなかったのだが?」
「はい……! その、俺が、く、クロデキルド様に口づ……」
「もう一度してみろ」
「はい!!」
それはもうお気が済むまで何度でも……えっ?
「え?」
クロデキルド様は何をおっしゃっているのだ? 俺は顔を上げる。
俺がよほど間抜けな表情をしていたのだろう。クロデキルド様が吹き出す。
「いや、そのままの意味だが?」
「は……あ、あの」
「突然のことで頭の中が真っ白になってな。夢か現か幻かといった気持ちなのだ。アスアドがまさかあのようなことをすると思ってなかったし」
あのようなことをすると思っていなかったって……一応恋仲のつもりだったのだが、俺を何だと思っていらっしゃるのだろう。完全に人畜無害だと思っていらっしゃるということか? その絶大なる信頼は喜ぶべきか、悲しむべきか……。
「嫌なら、別にいいが」
「嫌じゃありません!!! しかし、クロデキルド様、あの……!」
「まったく。何が『しかし』なんだか。細かいことはいい、早くしろ」
そう言ってクロデキルド様は瞳を閉じられる。いつでも来いとそういう……あああ!! そのような無防備な出で立ちで俺の前に……!
「……はい」
と返事はするものの、こう改まるととても先程と同じことができると思えない。なぜ先程はあの美しい唇に触れることができたのだ!? わからない……しかし、お待たせしてはクロデキルド様に失礼だ。
「し、失礼します」
クロデキルド様は小さく頷く。
後ろからは、冷たい風が早くしろと俺の背中を叩いてくる。
目の前には、百万世界でいちばんいとおしい人。
クロデキルド様の両肩に触れる。
いくつもの季節と国を越えやっと思いは通じたが、越えなければいけない山はまだまだ無限にあるようだ。
それをひとつひとつ越えていくことは、幸せなことなのだけれども―――。
クロデキルド様まで、あと、少し。
はじめてのチュウは青空の下でとなんか、ずっとずっと思ってました。しかも衝動的だろうなあとニヤニヤ。
pixivにも載せてます。
気を抜けばスキップをしかねない足をしっかり地面に近づけつつ、気を緩めばだらしなく緩みかねない口元を引き締め、俺は騎士団団長の部屋に向かう。
当然のことながら、現騎士団長に会うことに対して浮かれているわけではない。俺から回覧書類を受け取り、ラロヘンガに巣食う奇妙な魔物でも見るような眼差しを送ってくる、黒髪細目の男などのために浮かれるわけがないだろう。
いつもなら含みのある目線を送っても口は開かないのに、きょうのきょうに限って俺のことを「不気味だ」などと言ってきやがったが……今後お見えするであろう幸福の前に、そのような嫌味など霞むというものだ。
メルヴィスの目に余るくらいに、おそらく俺は浮かれていたのだろう。それは、仕方のないことではないか。
なんたって―――…ああ、思い出すだけでもうっとりとしてしまう。
今朝、きょうが提出期限の書類を携えクロデキルド様の執務室を訪ねた。
書類を受け取ったクロデキルド様は「いい天気だな」と窓ガラス越しに空を見上げたあとこちらに目線を送り、きょうが暇かと尋ねられた。
ひとつちょっとした用事があると正直に答えたところ、そのあと付き合ってほしいと仰る。
どこに、なんの? と場所と目的を聞こうとした俺の唇から、言葉が発せられることはなかった。そりゃそうだ。
「いいところに連れて行ってやる」と、長く白い人差し指を口角を上げた美しい唇に当てて、付け加えられたのだ。まるで、二人の秘密だぞ、と付け加えるように―――このような仕草をされれば、場所や目的などどうでもいいだろう? それがたとえ百万世界のはじっこでも同行しない理由はないし、いくら心を落ち着けようともふわふわ浮かれるというものだ。
メルヴィスへ書類を届けるという野暮用をそつなくこなし、奴の冷めた視線を背中で跳ね返して、俺はクロデキルド様の元へ向かう。すれ違う侍女が俺に視線を送る。「アスアド様、いまからクロデキルド様とデートですか」と目が尋ねている―――というのは、さすがに自意識過剰だろう。
でも、そうやって期待してしまうのも無理はないだろう?
出会ったその日から抱き続けてきた、そして日の経過と共に強まった俺の想いを、あの方は両手で受け止めてくださったのだ。
届いたときの、「嬉しい」と言われたお言葉が忘れられない。
あれは夢の出来事ではなかったのかと思うほどだが、少しずつ日が経過するにつれ、彼女の笑顔が一歩ずつ身近になるにつれ、ああ現実なんだなと幸せを噛みしめるに至っているのである。
そして、今日。クロデキルド様は、世界一幸せなこの男をどこに連れて行こうとお考えなのだろう。緩む口元をなんとか締め、俺は彼女の執務室のドアをノックした。
「もう用事はいいのか?」
「はい」
窓からの太陽の光を含み、クロデキルド様の金髪が一段と眩しく見えた。その眩しさに目を細めていると、彼女は手にしていた書類を机におき、髪をかきあげる。そんな仕草ひとつにドキリとしてしまう。
俺が見とれ硬直している間にも、彼女は席を立ち俺の側まで来ていた。当然のことながら、お側で見てもお美しい。
「次の用事は?」
「あっ……えー夕刻より訓練の報告を受けねばなりませんが、あーそれはハフィンに一任しても」
「仕事優先だ」
ぴしゃりとクロデキルド様が遮る。
「まあ、夕刻までならちょうどいいな。了解した、では行こうか?」
「はい!」
相変わらず目的地は聞かされていない。だが、それはクロデキルド様にお任せします。俺は、どこまででもお供させて頂きます。
俺は扉に手をかけ、彼女へ道を開いた。
東塔の階段を二人でのぼっていく。
ここは日光があまり差し込まず薄暗い場所だが、それでも階段を登るクロデキルド様のお姿が輝いて見え、その後姿に魅入られながら俺はあとに続く。彼女の足が最上階の床を蹴り、なお階段を登り進めて行くことで、目的地が屋上であることがわかった。
屋上への扉の前に立つ衛兵が女王の来訪に深々と頭を下げる。クロデキルド様が手をあげると、衛兵は身を避け屋上への扉を開けた。
クロデキルド様が扉の向こうへ足を踏み出したところで、衛兵が俺に気づき訝しげな視線を送ってくる。
「いいんだ」
クロデキルド様が彼に言う。何が「いい」なのだうか―――俺の疑問が解消される間もなく、クロデキルド様が俺の名を呼び、手招きをする。
彼女に続き屋上へ足を踏み出す。薄暗い世界が一転し、抜けるような青空の天井が俺を迎えてくれた。
晴天だ―――。吸い込まれそうな青色に目を奪われる俺の隣で、クロデキルド様は大きく伸びをした。
「んー」
ぴんと伸びた背中が気持ちいい。そのお姿に青空以上に目を奪われいると、クロデキルド様は俺の視線に気づき、ふっと笑う。
「気持ちいいだろう?」
「そうですね。天気も良くて風もだいぶ暖かくなりました。しばらく屋外に閉じこもりきりでしたから、とても気持ちがいいです」
「同意だな。やはりたまには外の新鮮な空気を吸わないと、いい仕事もできないだろう」
ふわりと彼女の金髪が舞う。
「そうですね。……しかし、ここにははじめて来ました。想像していた以上によい眺めですね」
山々の緑に空の青。屋上の端まで行けば、おそらく眼下に城下町も広がるだろう。山、空、人々といったこの国の生命をたくさん目に収められる場所。アストラシアの姿を紹介するにこれほどの絶景もないだろう。
「はじめてなのは当然だ。なにせ、ここへの侵入は許していないからな」
と言うよりも、城の者にとっては暗黙の了解というべきか―――とクロデキルド様は言葉を続ける。
ここは、クロデキルド様とフレデグンド様、それに先代の王妃様くらいしか足を踏み入れない場所だという。
「もっとも協会に侵略されたときは、土足で踏みにじられただろうが……いや、フレデグンドが阻止してくれていたやもしれぬが」
独り言のようにつぶやくクロデキルド様のお顔に一瞬影が落ちる。しかし、俺がその影を取り除こうとする前に彼女は自ら振り払い、俺に笑いかける。
「つまり、王族特権のエリアというわけだな。このような絶景を独占するのは卑怯だと思うか?」
「まさか、思いませんよ。王族の方にこそ、何者にも侵されない安らぐ場所が必要です」
「ありがとう」
クロデキルド様が目を細める。こうした慈悲深いお顔も好きだ―――とうっとり蕩けそうになるが、蕩けてしまう前に疑問を解消する方に専念しよう。
ところで、そのような場所になぜ俺を?
「さぁ?」
肩をあげ、クロデキルド様はとぼけたような表情を見せる。
どことなく愉しげなお顔。こういったとき答えを提示されないことは知っているので、自分で回答を考える。
……が、王族でない俺を王族専用エリアに通す理由を考えても、導かれる答えはひとつしかなくて。
つまり、俺を王族の一員に加えてやろうと……そういうことか!? つまるところそれは……と浮かれた頭はどんどんとポジティブな思考に侵食され、脳内にウェディングベルが鳴り響……いや待て待て!! 先走りすぎだ!!! 落ち着け、常識で考えろ俺!!
……あっ、そうか。ここのメンテナンス係として呼ばれたとか? 現に、清掃係が定期的にここを掃除しているだろうし。どうやら俺はホウキの似合う男として定評があるようだし……。
ああ。そういうこと……か、な?
「ふふっ」
一喜一憂する俺を観察していたのだろう。愉快そうにクロデキルド様が笑う。こんなふうに微笑んでくださるのであればいくらでも喜びに浮くし憂いに沈むさ―――などと思ってしまう俺に、彼女はやはり答えは提示せず、こちらへと歩き出した。
正解はうやむやなまま後ろに付き従う。
しばらく歩くと、想像通りに城下町が一望できる場所にたどり着く。
極上の眺めを楽しむ目的か、あるいは監視のための目的か―――要塞の体をなすこの城のことだからおそらく後者だが―――、腰掛けるのにちょうどいい高さの石の出っ張りがあった。石の上には木材が打ち付けられていることから、腰掛ける目的で設置されているのだろう。
クロデキルド様はそこに腰掛け、左から右へと景色を瞳に納められる。
「ここからの眺めは良くてな。街……特に市場のほうがよく見える。それから山のほうに進めると田畑が見える。作物の成長具合も見えるし東の空の具合も見えるから……明日の天候の予想も今年の収穫の予測も現在の市場の賑わいもひとまとめに情報として得られるんだ。遠くに見える山の深緑と……冬の場合は白く染まった雄々しい山脈だが、これらを眺めることでリフレッシュにもなる」
一定量の風が吹く中で俺に届くよう配慮なさっているのだろう。少し大きめに発せられる凛としたお声が耳に心地いい。
クロデキルド様の案内のとおりに俺は視線を移動させる。
「なるほど」
紙面の報告書では得られない情報をここで得ると。さらに休息も兼ねられる便利スポットというわけか。
しかし冬は厳しそうだ。それとも、アストラシアの気候に慣れたクロデキルド様であれば、真冬の風などものとしないのだろうか。……などと思考に耽っていると、前に座るクロデキルド様がこちらを振り返った。
「こちらへ来い」
「承知しました」
今までのは前置きで、ここからは内密の話なのだろう。彼女の斜め後ろに立ち、腰をかがめ顔を近づける。
この体勢であれば、たとえ聞き耳を立てている曲者がいたとしても、情報が漏れることはない。
「……何をしている?」
「え?」
「……」
頭ひとつの距離の向こうで、クロデキルド様が眉根を寄せる。
呆れたような表情でありながらも、それは決して侮蔑を含んだものではなく、どちらかといえば願いが叶わなくてどこか少しむくれているようにも見えて……その、ものすごくお可愛いのですが。
「あ、の。クロデキルド様……?」
緊張と愛おしさで息苦しいものを覚えながら、無言のクロデキルド様に真意を問う。
ふぅぅ……とクロデキルド様は長い溜息を吐いたあと、彼女の隣を二度叩き、
「隣に座れ、という意味だぞ」
答えを教えてくださる。
なるほど、内密の話というわけでは……え?
えええっ!? クロデキルド様の、お隣に、俺が、ですか……!!??
「は……はっ!! 失礼しました!!」
そんな、まるで俺たちが恋人同士のようではないか、いや一応そのようなのだが、でもいいのかと舞い上がりつつも、ぎこちなくベンチをまたぎ、腰を下ろす。
「まったく……」
クロデキルド様は二度目の溜息。……あっ、近すぎたか!? 浮かれるばかりに調子に乗りすぎたか!?
慌てて身を右へとずらし距離を作る。
「なぜ逃げる?」
「にっ逃げてなど……!!」
「………」
じっとりとした、クロデキルド様の圧力。
「……すみません。では、失礼します」
先程とは逆回し再生の動きで、元の位置に戻る。
肩が触れるか触れないかの距離。まるで、僅かな空気の壁越しに彼女の体温が伝わってくるようで……。
嬉しい。幸せすぎる……とこのポジションを獲得できた喜びに浸る。―――いや、待て待て。クロデキルド様は喜びを与えるために俺をここへ連れてきたわけではないだろう。未だに目的は聞けていなかったが、それだけはきっと間違いない。
風がなぶったせいで顔にかかる髪の毛を払うついでに、クロデキルド様を盗み見る。
クロデキルド様はじっとこちらを見ていらっしゃって―――!! 心臓が大きく跳ね上がった。
「なるほどな」
動揺する俺に反し、落ち着いた様子のクロデキルド様は何かに納得されたように頷かれた。
「なるほど?」
『クロデキルド様の隣に座ると魔道兵団総帥はフリーズする』という法則を実証したことによる納得なのか? 実験するまでもなくお分かりいただいていたことだと思うのだが……。
「いや」
ふわふわと遊びまわる金髪を撫でつけながらクロデキルド様は答える。
「侍女たちの言葉に納得しただけだ。なるほど、そなたは確かに美青年だな」
「……へ」
「うん。整った顔立ちだ。間近で見たら尚更分かる」
なにを仰っていらっしゃるのですか……!? と、整った顔立ちだと……!!??
その言葉自体、言われるのは初めてではない。かつての上司に「お前は顔だけだ」と揶揄されていたのをはじめとして―――自覚はそれほどなくも、何度か耳にしたことのある言葉ではある。が、それに慣れるかはまた別の話であり、ましてはクロデキルド様に言われるなど、慣れるどころか……!!
「あ、ありがとうございます……」
何も考えられない。ああ、その『整った顔立ち』とやらがじわじわと朱に染まっていくのを感じるぞ。
「思ったことをありのままに言っただけだ。礼を言われることではない」
淡々とクロデキルド様は仰るが、想い人に褒められのだ。それがたとえ単純に容姿のことであったとしても、嬉しくない訳がない。
「結構長い付き合いだが、じっくりと顔を見たことがなかったと思ってな」
確かに、そうかもしれない。形だけの同盟だったり、仲間となったあとでも平等な仲間関係のひとりでしかなかった。同じ国の者になってからも、顔を間近で突き合わせる機会など今までなかった。
俺もクロデキルド様を見る。
想像以上にまつげが長くて、想像以上に前髪を伸ばしておられ、想像以上に瞳の緑色は濃くて、想像以上に唇は美味しそうで……ってなにを考えている!! 思考が素直すぎる己に恥じながらも、たしかにこうしてクロデキルド様のお顔を拝見するのははじめてだと実感する。
「そうして見つめられると照れるな」
ふいと顔を外し、クロデキルド様の瞳は山脈へと移動する。失礼なことをしてしまったかと反省しそうになるものの、白い頬がわずかに染まっているのに気づき、謝罪の言葉が頭から吹っ飛んでしまった。
「顔もそうだが、私はまだ知らないことが多い」
視線こそ一番高い山の山頂へと向けられているものの、お言葉は俺に対して放たれている。
「いろいろ知りたいと思っている。そなたのことを」
「俺のことを、ですか?」
「ああ」
瞳を閉じて小さく息を吐いたあと、クロデキルド様は再度こちらに顔を向ける。
「元・ジャナム魔道帝国第2魔道兵団魔道兵長。肩書きに恥じることなく魔道に長け、剣も基礎から一通り嗜んでいる。正義感が強く、不正や非人道的なこと、曲がったことが嫌いで、まっすぐすぎるあまりにまわりが見えなくなることもしばしば。どうやら私に惚れているらしい。ああ、それと帝国での経験もあることから、多少施政もかじっている。―――私の認識はこんなところなのだ」
さらりととても恥ずかしいことをおっしゃった気がするが……ええ、間違ってないです。全部正しいです。クロデキルド様は俺をよく理解していらっしゃいます。
「それで十分かと……」
「そうかな? 私は物足りないと考えている。おかしいだろう? こんなにも惚れ込んでいるのに、私はそなたのことをこれだけしか知らないんだ。もっとよく知りたいと思っている」
ああ、またさりげなく嬉しくなるようなお言葉を! それだけでなく、俺のことをもっと知りたいだなんて!!
喜びの連続攻撃に頭がふわふわする。後頭部から羽が生えてそのまま青空に飛んで行きそうになっている俺に、アスアドのことを教えてくれとクロデキルド様はおっしゃる。
「それはいくらでも! ただ、自分のことを教えるというのは難しいですね」
「それもそうか。質問を投げかけてもいいのだが、私がそれをすると尋問のようになってしまうだろうし……」
クロデキルド様にならいくらでも尋問されたいです! なんて本音が出掛かるがそこはさすがに押し止める。想いが通じたそばから嫌われたくはない。彼女の刃に散らされるのであればまだしも、彼女に嫌われることが今の俺にとって一番恐ろしいことだ。
「でしたら、互いのことを話すというのはいかがでしょうか? 俺も、あなたのことをもっと知りたいです」
思えば俺も、クロデキルド様のことをあまり知らない。
好きな食べ物や苦手な食べ物、季節、絵画、音楽の好み……そうだ、ずっと知りたくてでも聞けなかった彼女の誕生日をお聞きしたい。一年でもっとも祝福されるべき一日に、彼女にすべてを捧げたい。それに、この際だから知りたいことを全部お聞きしておこうか。
「了解した。では交代で一問一答でいこうか?」
クロデキルド様の提案に頷きで同意する。
「ああ、アスアドは黙秘権なしだから」
「え……ッ!!」
「ふふっ、冗談だ。話せることだけで構わない」
予想通りの反応だったのだろう。満足そうにクロデキルド様は笑う。こうやってくだけた様で冗談をおっしゃることも今知った。しかも、どうやら俺をからかうことに味を占めたようで―――まいったな。
今までの二人になかったコミュニケーション。だが、クロデキルド様の言葉に踊らされるのも心地いいじゃないいか。
「かしこまりました。では―――」
すべて同率一位に並ぶ『お尋ねしたいこと』に頭で優先順位をつけながら、俺は第一問を口にし始めた。
たまに吹き付ける強風を除いて、邪魔が入ることなく俺たちの話は弾んだ。
思えば、結構な時間ふたりで話をしていたようだ。
頬に当たる風がだんだん冷たく鋭くなってゆき、それはタイムリミットが近いことを意味していた。
「……風が強くなってきたな」
前髪をしきりに掻き上げてくる風に、同じ感想を抱いたらしい。クロデキルド様は空を見上げ目を細めた。
その瞳が、楽しい時間はおしまいだと語っている。さびしそうに―――見えるのは、俺の願望だろうか。
願望に同意の視線を込め、彼女の横顔を見つめる。
「…………」
冷気に身を委ねるようにクロデキルド様は瞳を閉じる。一組の風が通り過ぎるまで待ったあと、クロデキルド様は口を開いた。
「この風は思い出させる」
「思い出させる、とは?」
つぶやきに近い声だったから拾ってもよかったのだろうかと、尋ねた刹那後悔する。しかし、クロデキルド様は気にしていない様子でこちらを見る。
「そろそろ約束の時間だが……延長しても構わないか?」
「もちろんです!」
ありがとうとクロデキルド様は仰ったあと、クロデキルド様のむかしのお話をはじめられた。今まで話されていた彼女のことよりも、一段と話し方が静かで穏やかで―――それを、とても大事に扱っているのだなと感じる。
この風は、おわかれの時間を知らせる風なのだという。
彼女が5つにも満たなかった幼い頃の話。
そのころから、彼女の父―――先代国王は熱心に、また厳しく、国王自ら彼女に剣の技を仕込んでいたという。
来る日も来る日も剣を打ち付けられ、握力がなくなるほど素振りをさせられ、褒められることなど一度もなく。それは、逃げ出したくなるつらい日々の繰り返しだったという。
だから、彼女は逃げ出した。逃げる先は、いつもここだった。
ここに―――ちょうど今ふたりで座っている場所には、彼女の母と妹のフレデグンドがいた。幼いフレデグンドはまだ剣の修行の対象外であったため、いつも母とこの場所をふたりじめしていたという。
そこに混ぜてもらうことで、修行から逃げていた。ここは安全地帯なのだ。
「父上はここには絶対に来ないって知っていたからな。何故だと思う?」
「さあ……」
父上は高所恐怖症だったんだ、とクロデキルド様笑う。
母は彼女の味方だった。掌のまめがつぶれ赤く滲んだ小さな手を両手で抱きしめてくれて、クロデキルドはよくがんばっているわね、と褒めてくれて。
フレデグンドも彼女の味方だった。おねえさまはすごいねと言ってくれて、もっともっと小さな手が「痛いの痛いの飛んでけ」と魔法をかけてくれて。
三人だけの暖かい場所。『さんにんじめ』できる世界。
だけど、母はやさしくもきびしいひとだった。彼女をこの国の世継ぎとしてあるべき姿へ向かわせるため、甘えさせるだけで終わらせはしなかった。
だから、ここを『さんにんじめ』するときの約束があった。
ここには時計がない。時間の経過を教えてくれるのは太陽や空の色、風しかなくて―――母は風を選んだ。
風が冷たくなる時間まではクロデキルドもここにいよう、と言ってくれたのだ。
「夕方なんて来なくて、風が冷たくならなければいいのにって思っていたな。聞けばフレデグンドも同じ思いだったらしい」
きっと彼女たちの母も同じ気持ちだっただろう。今は俺の頬を冷やすこの風は、かわいい娘をさらってしまう風なのだから。
俺は頬をこすり、『おわかれを知らせる風』が奪う熱を取り戻そうとする。もちろん、それで風の冷たさがなくなるわけではないが。
「いまもな、あの時と同じ気持ちになってしまった」
クロデキルド様はこちらを振り返り、微笑む。
「この場所は好きだが、この風が吹くと寂しい」
「それは、どちらの意味で」
口にした矢先に、それが自明なことだと気づく。
思い出の回顧ゆえの寂しさなのか、自分との邂逅が終わることの寂しさなのか―――どちらかなど、決まっているだろう。
彼女が大事にしている母と妹との思い出に比べ、自分との時間などいったい何十分の一のウェイトにすぎないというのか。
自惚れているな、と自己嫌悪に陥る。
「……すみません。今の質問は取り消しで」
うなだれる俺を見て、クロデキルド様は俺が提示した比較対象を理解したようだ。
その上で、まっすぐに答えをくださる。
「両方だよ。懐かしくて寂しいし、アスアドともっと話をしたいのにという名残惜しさもある」
俺は顔を上げ、クロデキルド様を見る。
クロデキルド様はまっすぐに答えてくださる。穏やかで優しい―――きっと、かつて彼女の母が浮かべていたのと同じくらいの笑顔。
俺の姿を映す緑色の瞳は、それが本心だと教えてくださる。綺麗な綺麗な、緑色の宝石。
俺はかつてここにいた少女の姿は知らない。だけど、彼女の瞳はおそらくその時から変わっていなくて。
うつくしくて、かわいくて。
いとおしくて。
「―――……」
心が揺さぶられる。
頭の中が、全身が。今まで一度も抱いたことのなかった思いに侵食され。
身体が―――ひとりでに動く。
風が止んだとき。
俺は彼女に唇を重ねていた。
あまりにもクロデキルド様がいとおしくて。
それは、無意識の行動だった。
自分の衝動的な行動に驚く。だが、それは情動に対する静止になりえない。
唇を離したとき、驚愕に彩られた緑色が俺を射ぬいていることに気づいても、想いを止められなかった。
「好きです」
ああ、何を今更言っているのだろう。
だが、どうしても伝えずにいられなかった。
あなたが好きです、クロデキルド様。
「……」
答えはない。
変わらず俺をストレートに射ぬいてくる瞳は、何も語らない。
触れたばかりの唇が、ゆっくりと開かれる。
「……もう、時間だ」
どこかで答えを望んでいた俺の鼓膜を震わすお言葉は、とても事務的なものだった。
俺の恋人である以上に、彼女は女王だった。
だから、俺はこれ以上はしてはいけない。いくらクロデキルド様への想いが溢れ身体を突き破りそうになっても、全部体内に押し込めないといけないのだ。
クロデキルド様は立ち上がり、入口へ向かい歩き出す。
俺も立ち上がる。背中にぶつかる風は先程よりも数段冷たくて、身体が勝手に震えた。
俺を置いて足早に先を行くクロデキルド様の背中を見て、ふと思う。
もしかして、怒っていらっしゃる?
そりゃ無理もない。衝動的に口付けをしてしまったのだから。
―――え? 口づけ? 誰に。
クロデキルド様に?
…………。
「……ッ!!!???」
咄嗟に掌で唇をふさぐ。
ああ、そうだ。俺は確かに、クロデキルド様に、口づけを、してしまったようで……。
「…………」
な、なんてことを!!
潔癖なクロデキルド様のことだ。許してもいない相手からそのようなことをされては、怒ってしまうのも当然だ。平手打ちされなかっただけ俺は運が良かったといえる。
いや、平手打ちされてもよかった! それほどに、俺の行動は一方的過ぎた。
どうやって詫びればいいかと彼女のあとを追う。クロデキルド様は扉の前でこちらを振り返り俺を待っている。唇をきゅっと結び、何かを決意したような厳しい御顔―――。
ああ、なんて言えばいいんだろう。謝ればいいのだろうか。言い訳してはいけないだろうか? 気のせいですなどと誤魔化せもしないだろうし。どうしよう……!!
最適解が見つからないまま、彼女の前に立つ。
相変わらず真っ直ぐなクロデキルド様の視線。内側から震えが来るのは、風が体温を奪うせいではないだろう。
「アスアド」
「はいっ!!」
脊髄反射で答える。普段なら『うるさい』と顔をしかめられるボリュームだったが、今日はそれを指摘されない。
俺の名前を呼んだクロデキルド様は、腕を組み視線を左にずらし思考に耽られる。何らかの結論が出たのだろうか、一度小さく頷いたあと、唇に指をあて、再び思考。今度は心得たようにはっきりと頷く。
「先程、私に何をした?」
「えっ……あっ、その……! 申し訳ありません!! つい、耐えられなくなりまして!!」
直立し90度のお辞儀をする。口をついたのは条件反射の謝罪……しかも情けない言い訳つきで。
耐えられなくなったって子供か、恥ずかしい!!
「突然のことでよく分からなかったのだが?」
「はい……! その、俺が、く、クロデキルド様に口づ……」
「もう一度してみろ」
「はい!!」
それはもうお気が済むまで何度でも……えっ?
「え?」
クロデキルド様は何をおっしゃっているのだ? 俺は顔を上げる。
俺がよほど間抜けな表情をしていたのだろう。クロデキルド様が吹き出す。
「いや、そのままの意味だが?」
「は……あ、あの」
「突然のことで頭の中が真っ白になってな。夢か現か幻かといった気持ちなのだ。アスアドがまさかあのようなことをすると思ってなかったし」
あのようなことをすると思っていなかったって……一応恋仲のつもりだったのだが、俺を何だと思っていらっしゃるのだろう。完全に人畜無害だと思っていらっしゃるということか? その絶大なる信頼は喜ぶべきか、悲しむべきか……。
「嫌なら、別にいいが」
「嫌じゃありません!!! しかし、クロデキルド様、あの……!」
「まったく。何が『しかし』なんだか。細かいことはいい、早くしろ」
そう言ってクロデキルド様は瞳を閉じられる。いつでも来いとそういう……あああ!! そのような無防備な出で立ちで俺の前に……!
「……はい」
と返事はするものの、こう改まるととても先程と同じことができると思えない。なぜ先程はあの美しい唇に触れることができたのだ!? わからない……しかし、お待たせしてはクロデキルド様に失礼だ。
「し、失礼します」
クロデキルド様は小さく頷く。
後ろからは、冷たい風が早くしろと俺の背中を叩いてくる。
目の前には、百万世界でいちばんいとおしい人。
クロデキルド様の両肩に触れる。
いくつもの季節と国を越えやっと思いは通じたが、越えなければいけない山はまだまだ無限にあるようだ。
それをひとつひとつ越えていくことは、幸せなことなのだけれども―――。
クロデキルド様まで、あと、少し。
はじめてのチュウは青空の下でとなんか、ずっとずっと思ってました。しかも衝動的だろうなあとニヤニヤ。
pixivにも載せてます。






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